FC2ブログ

霊源院


DPP_38972.jpg

鶴、九皐(きゅうこう)に鳴き、声、天に聞こゆ











DPP_38974.jpg

京都最古の禅寺である建仁寺











DPP_38975.jpg

その塔頭である霊源院に、新しく生まれた庭は











DPP_38978.jpg

世俗から離れた深い谷底で、一羽の鶴が鳴くと











DPP_38976.jpg

やがてその美声は、天下にも聞こえてゆく、と云う詩経を基に











DPP_38977.jpg

釈迦牟尼(仏陀)の尊き教えと云うものは











DPP_38979.jpg

何処に埋もれていても、やがて世の中に広く知れ渡る、と云う意味を込めて











DPP_38973.jpg

鶴鳴九皐(かくめいきゅうこう)の庭と名付けられた



+霊源院(れいげんいん)+

京都市東山区大和大路四条下ル小松町594
東山区にある禅寺、建仁寺の塔頭寺院である
応永年間(1394年〜1428年)に、龍山徳見和尚を勧請開山として
その弟子である一庵一麟によって創建された
令和2年に、中根金作の孫たちにより、新しい庭「鶴鳴九皐」が作庭された
常時公開の寺院ではないが、現在(令和2年秋)
この庭が、特別公開されている

アクセス 京都市バス206系統 「清水道」 下車徒歩5分





スポンサーサイト



青蓮院門跡


DPP_38889.jpg

携帯電話やタブレットから、しばらく手を離してみて下さい











DPP_38893.jpg











DPP_38897.jpg











DPP_38900.jpg











DPP_38901.jpg











DPP_38903.jpg











DPP_38902.jpg











DPP_38890.jpg

あなたの好きな景色が、きっと見つかるはず


+青蓮院門跡(しょうれんいんもんせき)+

京都市東山区粟田口三条坊町69-1
東山区粟田口(あわたぐち)三条坊町にある天台宗の寺院
「青蓮院門跡」(-もんぜき)とも称する、山号はなし
開基(創立者)は伝教大師最澄、本尊は熾盛光如来(しじょうこうにょらい)である
三千院(梶井門跡)、妙法院とともに、天台宗の三門跡寺院とされる
「門跡寺院」とは皇室や摂関家の子弟が入寺する寺院のことであり、青蓮院は多くの法親王が
門主(住職)を務め、宮門跡寺院として高い格式を誇ってきた
江戸時代に仮御所となったことがあるため「粟田御所」の称もある
日本三不動のひとつ「青不動」のある寺としても知られる

アクセス 京都市バス 「神宮道」下車 徒歩5分




永観堂(禅林寺)


DPP_38866.jpg

体露金風(たいろきんぷう)











DPP_38868.jpg

ひっそりと静かに











DPP_38869.jpg

降り始めた雨は











DPP_38872.jpg

庭の緑に、その身を寄せて











DPP_38873.jpg

一陣の風に囁く











DPP_38874.jpg

雨の後に、訪れる











DPP_38876.jpg

その風は











DPP_38875.jpg

やがて、秋を呼ぶ



+禅林寺(ぜんりんじ)+

京都市左京区永観堂町48
左京区永観堂町にある浄土宗西山禅林寺派総本山の寺院
一般には通称の永観堂(えいかんどう)の名で知られる
山号を聖衆来迎山(しょうじゅらいごうさん)、院号を無量寿院と称する
本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は、空海の高弟の真紹僧都である

禅林寺は紅葉の名所として知られ、古くより「秋はもみじの永観堂」といわれる
また、京都に3箇所あった勧学院(学問研究所)の一つでもあり
古くから学問(論義)が盛んである

アクセス 京都市バス「南禅寺・永観堂道」下車 徒歩5分







宝泉院


DPP_38812.jpg

大好きな場所を訪れ











DPP_38813.jpg

同じような季節に











DPP_38815.jpg

同じような構図で











DPP_38814.jpg

眼の前の風景を切り撮る











DPP_38816.jpg

でも、ほんの少し











DPP_38823.jpg

少しづつでも、変化していける











DPP_38826.jpg

そんな写真が撮れたら良いな











DPP_38817.jpg

それが私の密かな野望


+宝泉院(ほうせんいん)+

京都市左京区大原勝林院町187
大原にある、天台宗の寺院の一つである、観光地としても著名な三千院の参道奥にある
大原寺(勝林院)の僧坊の一つとして、長和2年(1012)に創建されたものである

庭園として盤桓園(立ち去りがたいという意)、鶴亀庭をもち、盤桓園には樹齢300年の沙羅双樹の木が茂る
樹齢700年の「五葉の松」も観光客に人気がある
こちらは京都市指定の天然記念物に指定されている、また、坊内にある「血天井」は
関ヶ原の戦いの前哨戦となった伏見城の戦いの際に徳川家臣鳥居元忠以下数百名が
自刃した伏見城の床板であり、その霊を供養するため天井板としているものである

アクセス 京都交通バス 大原(終点)下車 徒歩15分






天授庵


DPP_38849.jpg

光りを浴びて











DPP_38857.jpg

闇に伏し











DPP_38851.jpg

繰り返し、繰り返し











DPP_38861.jpg

練り上げられた











DPP_38853.jpg

至上の甘露(かんろ)











DPP_38852.jpg

全ては、天へ供える為











DPP_38856.jpg

そう、この庵(ばしょ)は











DPP_38850.jpg

天より授けられし庵


+天授庵(てんじゅあん)+

京都市左京区南禅寺福地町
天授庵(てんじゅあん)は臨済宗南禅寺の塔頭である
暦応2年 (1339) に虎関師錬が南禅寺を開山した無関普門の塔所(墓所)として建立された
戦国時代には衰退したが,慶長7年 (1602) に武将で歌人としても知られる
細川幽斎により再興された
書院南庭は、杉や楓が鬱蒼と茂る池泉回遊式庭園で、明治時代に改修されているが
南北朝時代の面影を残している

アクセス 京都市バス 「東天王町」下車 徒歩15分



実光院


DPP_38806.jpg

兆し











DPP_38811.jpg

カシャ、カシャと











DPP_38804.jpg

小気味いい、シャッターの音を聴きながら











DPP_38805.jpg

ファインダーから覗く世界











DPP_38809.jpg

その景色の中に、ふと気付く











DPP_38808.jpg

秋の兆し











DPP_38810.jpg

緋毛氈の上に、そっとカメラを置いて











DPP_38807.jpg

夏を、見送る事にしました



+実光院(じっこういん)+

京都市左京区大原勝林院町187
実光院も宝泉院と同じく、勝林院の坊である
鑑賞式庭園の契心園は江戸から続く主庭で
もう一つの回遊式庭園は元々理覚院があった土地に、植木や石の一つ一つに至るまで
現住職が手づくりで造り上げたもの
また、冬に咲く、不断櫻も有名である

アクセス 京都交通バス 「大原」下車 徒歩15分






祇王寺


DPP_37907.jpg

10年間の感謝をこめて











DPP_37918.jpg

何事にも、飽き性だった私が











DPP_37914.jpg

photo blogを始める中で、カメラと云うものに出逢い











DPP_37909.jpg

光りを追い











DPP_37916.jpg

影を求め、カメラを頼りに京都の風景に触れてまいりました











DPP_37910.jpg

そして、拙blogを愛してくださった多くの方に

このblogは、育てて頂き











DPP_37911.jpg

何と、10年間

ありがとうございます、感謝しています











DPP_37915.jpg

切り撮るべきもの、語るべきもの

未だまだ、多くあるようにも思えるのですが・・・・











DPP_37912.jpg

皆様への感謝と、幸せな、この気分のまま











DPP_37913.jpg

本日をもって、blog「きょうと京都」は終了いたします

                      2020年 5月30日  高兄


+祇王寺(ぎおうじ)+

京都市右京区嵯峨鳥居本小坂32
右京区にある真言宗大覚寺派の仏教寺院、寺自体は尼寺である
山号は高松山、院号は往生院、本尊は大日如来
元々は浄土宗の僧・良鎮が創建した往生院の跡を引き継いで今日に至る

また、平家物語には平清盛の寵愛を受けた白拍子の祇王と仏御前が出家のため入寺したとしても知られている
その後往生院は衰退をたどり、明治時代の初期に一時廃寺となるが、嵯峨大覚寺の支配を受け真言宗に改宗し
1905年(明治38年)に富岡鉄斎らの尽力もあって復興を遂げた
苔の庭でも知られる

アクセス 京都市バス91番系統 「嵯峨釈迦堂前」下車 徒歩12分











地蔵院


DPP_37897.jpg

「とんちの一休さん」として、有名な人物

一休宗純(いっきゅうそうじゅん)

彼には、様々な逸話があります・・・・・











DPP_37899.jpg

晩年、病に臥せった宗純は、

ある晩、5人の弟子を枕元に呼び

こう、云いました











DPP_37898.jpg

「もし、自分が亡くなった後、自分たちで、どうしても解決出来ない難題があった時だけ

この箱を開けなさい」

そう云って、黒塗りの小さな木箱を弟子たちに渡しました











DPP_37901.jpg

それから、数ヶ月の後

その年の暮れに、宗純は亡くなります

しばらくは、平穏な日々が続きますが

2年が、過ぎた頃・・・・











DPP_37904.jpg

寺の周りでは、悪疫な流行り病が広がり

さらには、悪い事が重なり

火付けによる火事で、寺の本堂は全焼してしまいます











DPP_37903.jpg

宗純の弟子たちは、途方に暮れてしまいます

この先、いったいどうすれば良いのだろうか

その時、師である宗純に生前渡された、黒い木箱の事を思い出します











DPP_37900.jpg

幸い火事では焼けなかった庫裏(くり)の奥に

しまい込んでいた小さな木箱を、皆で開けてみようと云う事になりました

もう、それしか解決の道は無いと

箱を開けてみると、小さな2つ折の紙が1枚入っています












DPP_37902.jpg

その紙以外には、何も入っていません

紙を開けると、そこには宗純の自筆で

「大丈夫、何とかなる」











DPP_37905.jpg

弟子たちは、お互いの顔を見合わせ

一瞬の、沈黙の後に

大きな声を上げて、笑い出したと云います











DPP_37906.jpg

西京区にある地蔵院(じぞういん)は

宗純が、幼少の折

まだ、千菊丸(せんぎくまる)と呼ばれていた頃に、修行していた御寺です


P.S

blog「きょうと京都」は、次回で終了いたします



+地蔵院(じぞういん)+

京都市西京区山田北ノ町23
西京区にある臨済宗の寺院、山号は衣笠山、本尊は地蔵菩薩 
周囲を竹林で囲まれていることから竹の寺の通称で知られている
一休宗純は幼少時、この寺で修行したと伝えられる
応安元年(1368)、室町幕府管領を務めた武将細川頼之によって創建された
頼之は碧潭周皎(へきたんしゅうこう)に帰依して出家した
当寺の実質的な開山は碧潭周皎であるが、碧潭は法兄である夢窓疎石を勧請開山としている

南北朝時代には勅願寺となって寺運も興隆したが、応仁の乱の兵火により伽藍を焼失し寺運も衰えた
江戸時代中期に中興され、江戸期には天龍寺に属した
昭和43年に独立して単立寺院となった
アクセス 阪急嵐山線「上桂」駅下車 徒歩15分





等持院


DPP_37887.jpg

我慢比べ











DPP_37890.jpg











DPP_37894.jpg










DPP_37891.jpg











DPP_37889.jpg











DPP_37892.jpg











DPP_37895.jpg











DPP_37888.jpg

だるまさんと、にらめっこ

大いに笑いたいですが・・・・

現在は、なかなか、笑えない状況

我慢比べが、大事です^^


P.S

blog「きょうと京都」は、次回で終了いたします


+等持院(とうじいん)+

京都市北区等持院北町63
北区にある臨済宗天龍寺派の寺院、山号は万年山、足利尊氏の墓所としても知られる
尊氏は、暦応4年(1341)に現在の京都市中京区柳馬場御池付近に等持寺を建立し
その2年後の1343年、現在の京都市北区等持院北町に別院北等持寺を建立した
尊氏の死後、別院北等持寺は尊氏の墓所となり、その名前を「等持院」と改称した
その後、応仁の乱で柳馬場の本寺が焼失したため、別院だった現在の等持院が本寺になった

アクセス 京福電気鉄道(嵐電) 「等持院」下車 徒歩5分


金閣寺(鹿苑寺)


DPP_37854.jpg

古(いにしえ)の花言葉











DPP_37860.jpg

およそ、1300年前











DPP_37855.jpg

日本最古の歌集と云われる「万葉集(まんようしゅう)」











DPP_37859.jpg

様々な人々が、詠う歌が編纂されています











DPP_37857.jpg

不勉強で、最近知った事なんですが^^;











DPP_37858.jpg

この万葉集の中で、歌われた事が











DPP_37861.jpg


花言葉の由来となる花が在ります











DPP_37856.jpg

水辺に咲く、杜若(かきつばた)

この花の花言葉は、「幸せは必ずやって来る」

だそうですよ^^


P.S

blog「きょうと京都」は、あと2回で終了いたします


+金閣寺(鹿苑寺)+

京都市北区金閣寺町1
北区にある臨済宗相国寺派の寺院
寺名は足利義満の法名に因む、通称金閣寺(きんかくじ)、山号は北山
室町時代前期の北山文化を代表する建築で、1994年(平成6年)に古都京都の文化財として
世界遺産に登録された
中心となる建築物である舎利殿を「金閣」、寺院全体を「金閣寺」と通称している

応永4年(1397)、足利義満が河内国の領地と交換に西園寺を譲り受け、改築と新築によって一新した
この義満の北山山荘は当時「北山殿」、または「北山第」と呼ばれた
邸宅とは言え、その規模は御所に匹敵し、政治中枢の全てが集約された
義満は征夷大将軍を子の義持に譲っていたが、実権は手放さず、北山殿にあって政務を行っていた
義満の死後、義持によって北山殿は舎利殿を残して解体されるが、義満の遺言により禅寺とされ
義満の法号「鹿苑院」から鹿苑寺と名付けられた、夢窓疎石を勧請開山(名目上の開山)としている

アクセス 京都市バス 「金閣寺道」下車 徒歩3分





プロフィール

高兄

Author:高兄
古きを訪ね、京都を知る

京都生まれ、育ち

高兄が綴る京都雑記帳

お気軽にコメントおくれやす♪

+相棒+

eos 5dmk3


+お願い+

ブログで使用している写真は

全て、私、高兄が撮影した写真です

無断使用は、ご遠慮ください

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ