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祇王寺

マイナスイオン


貰いにきました




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☆6月12日(土)午後☆



清涼寺を後にして


西へ



奥嵯峨の竹林を抜けると

森林の一画を

そのまま切り取ったような

小さな御寺が現れます



祇王寺


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現在の祇王寺は

昔の往生院の境内の中にあるとのこと


往生院は法然上人の門弟良鎮に

依って創められた云われてます

山上に亘って広い地域を占めていたらしいんどすが・・・・



いつの間にか荒廃して

ささやかな尼寺として残り

後に祇王寺と呼ばれることに



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墓地入口にある碑には

「妓王妓女仏刀自の旧跡明和八年辛卯正当六百年忌、 往生院現住、法専建之」

とあります



此の碑の右側に

「性如禅尼承安二年(一一七二年)壬辰八年十五日寂」
と刻んであるのは

祗王の事らしいんどす



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祇王寺は明治初年になって

廃寺となり残った墓と木像は

旧地頭大覚寺によって保管されました



大覚寺門跡楠玉諦師は

これを惜しみ

再建を計画していた時に

明治二十八年

京都府知事北垣国道氏が

祗王の話を聞き


嵯峨にある別荘の一棟を寄付され

此が現在の祇王寺の建物なんどす




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平家物語の巻頭に


祗園精舎の鐘の声

諸行無常の響あり

沙羅雙樹の花の色

盛者必衰のことわりを・・・・・



と美しく書き出してあるが

更に読み進むと祗王祗女の事が出て来る



これは平氏全盛の頃


平清盛と二人の女性の哀れな物語



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都に聞えた白拍子の上手に祗王

祗女と言う姉妹がいました

姉の祗王が清盛の寵を得て

妹祗女も有名となり

安隠に暮らしていました




ある時

清盛が祗王に何か欲しいものがあるかと尋ねると

祗王は

自分の生国は水の便が悪く

毎年旱害を受け

一庄三村は飢餓に苦しんでいるから

願わくば水利を得させて戴きたいと願った



清盛は早速

野洲川から三里の溝を掘らせ水を通した




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加賀の国の者で

仏御前と呼ばれる白拍子の上手が現われて

清盛の西八条の館に行き

舞をお目にかけたいと申し出た


清盛は神ともいえ仏ともいえ

祗王があらんずる所へは叶うまじきぞ

とうとうまかり出でよと門前払いをしたが

祗王がやさしく取りなしたので

呼び入れて

今様を歌わせることにした



仏御前は


君を初めて見る折は 千代も歴ぬべし姫小松 

御前の池なる亀岡に 鶴こそ群れいて遊ぶめれ

と繰り返し


とても上手であったため

清盛はたちまち心動かして仏御前に心を移した


昨日までの寵愛は何処へやら

祗王は館を追い出されることになった




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あくる春になって清盛は仏が退屈しているから

舞を舞って仏をなぐさめよと使者をよこすと

祗王はもとより行く気は無かったが

清盛の権勢と母の哀願に抗しかね

館に行って


仏もむかしは凡夫なり われらも遂には仏なり

いずれも仏性具せる身を 隔つるのみこそ悲しけれ


と歌い舞った

並居る諸臣も涙を絞ったと云う


祗王「かくて都にあるならば、又うき目を見むづらん、今は都を外に出でん」と

祗王二十一、祗女十九、母刀自四十五の三人

髪を剃って尼となり



嵯峨の山里


今の祇王寺の地に世を捨て仏門に入る


母子三人念仏している所へ竹の編戸を


ほとほとたたく者がある


出て見ると

思いもかけぬ仏御前の姿が




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祇王の不幸を思うにつれ

いずれか秋にあわで果つべき

と書き残された歌を誦するにつれて

無常を感じ


今朝

館をまぎれ出でて

参りたれと

被っていた衣を打ちのけるのを見れば

剃髪した尼の姿であった



わずかに十七なる仏御前の

浄土を願わんと深く思い入り給うこそ

と四人一緒に籠って朝夕の仏前に香華を供えて

みな往生の本懐を遂げた・・・・・





祇王寺で

しみじみとした気分をいただいて



小さな住職さんに挨拶をすませ


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祇王寺を後にしました






+祇王寺(ぎおうじ)+

京都市右京区嵯峨鳥居本小坂32
右京区にある真言宗大覚寺派の仏教寺院、寺自体は尼寺である
山号は高松山、院号は往生院、本尊は大日如来
元々は浄土宗の僧・良鎮が創建した往生院の跡を引き継いで今日に至る

また、平家物語には平清盛の寵愛を受けた白拍子の祇王と仏御前が出家のため入寺したとしても知られている
その後往生院は衰退をたどり、明治時代の初期に一時廃寺となるが、嵯峨大覚寺の支配を受け真言宗に改宗し
1905年(明治38年)に富岡鉄斎らの尽力もあって復興を遂げた
苔の庭でも知られる

アクセス 京都市バス28番・91番系統 「嵯峨釈迦堂前」下車 徒歩10







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高兄

Author:高兄
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京都生まれ、育ち

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