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銀閣寺(慈照寺)

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数寄者(すきしゃ)の路


室町幕府八代将軍、足利義政は

世の中の不安、財政難、民衆の一揆、権力争い等・・・

様々な問題から、やがて政(まつりごと)に嫌気がさし

浮世から離れてしまいます















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やがて

東山の地に山荘を造営し、書画、茶の湯三昧の日々をおくります

義政は、まさに数寄者の道に没頭していく事になります


この東山山荘(東山殿)を、中心とした地が慈照寺となり

その慈照寺が、人々に銀閣寺と呼称されるようになったのは

義政が没した後、随分あとの時代の事です




+慈照寺(銀閣寺)+

京都市左京区銀閣寺町2
慈照寺(じしょうじ)は、室町時代後期に栄えた東山文化を代表する臨済宗相国寺派の寺院
山号は東山(とうざん)、開基(創立者)は、室町幕府8代将軍の足利義政、開山は夢窓疎石とされている
夢窓疎石は実際には当寺創建より1世紀ほど前の人物であり、このような例を勧請開山という
寺紋は五七桐および二つ引両

足利義政が鹿苑寺の金閣舎利殿を模して造営した楼閣建築である観音殿は銀閣
観音殿を含めた寺院全体は銀閣寺として知られる

アクセス 京都市バス 「銀閣寺道」下車 徒歩7分


+数寄者(すきしゃ)+

寄者は芸道に執心な人物の俗称、「数奇者」と書く場合もある
現代では、本業とは別に茶の湯に熱心な人物、特に多くの茶道具を所有する人物として用いられる

「数寄」とは本来「好き」の意味であり、特殊な当て字として流布している
専門業とはせずに何らかの芸事に打ち込む様を、特に「すき」と称しているのであり
現代の俗語としては「あんたもすきね」「ものずき」などに通じる
古くは「すきもの」とは和歌を作ることに執心な人物を指した様であるが、室町時代には連歌が流行し
特に「数寄」が連歌を指すようになったとされる

さらに桃山時代には富裕な町衆の間で茶の湯が流行し、「数寄」も連歌から茶の湯へと意味を変えている
このため江戸時代には、数寄のための家「数寄屋」も茶室の別称として定着する









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