FC2ブログ

祇園甲部

DSC00013.jpg

夜の花見小路を、南へ。


花見小路の南側は、昔から祇園甲部と呼ばれる場所

お茶屋が、現在も軒をなしているエリアです


と、云う事で

馴染みの、とある、お茶屋はんへ寄ってきました^^


















DSC00020.jpg

名前は出せませんが

こちらのお茶屋さんは、白洲次郎(故人)をはじめ

様々な著名人が、訪れた

由緒ある、お茶屋はんです


お茶屋と云えば

芸妓、舞妓を囲んでの御座敷遊びをイメージする方も多いかと思いますが・・・


もちろん、そういう場所でもあるのですが

私自身、御座敷遊びというのは、友人を連れていく時に、何度かぐらいで


基本は、下のお茶屋BARで、一人ゆっくりと・・・という飲み方が多いです

こちらのお茶屋BARは、白洲さんも、よく訪れたそうです

居心地いいですよ、ここ♪













DSC00023.jpg

「blog載せるかもしれんわー」と云うと

おちょけたポーズを取ってくれた、若女将のTちゃん


彼女、もっと美人なんですがねぇ^^;

聡明な女子です















DSC00025.jpg

彼女は、佳つ奴(かつやっこ)ちゃん

まだ、見世だし(店だし)して、1年以内の舞妓じゃないでしょうか


同じ、白塗りでも、紅の引き方や

着物の襟柄、帯の長さなどで、舞妓としての年季がわかります

ちなみに、この子の年齢は17歳です


最近、甲部も舞妓の数が、一時に比べ増えました

30人ぐらい居るみたいですが、若い舞妓の名前は、憶えられません^^;















DSC00026.jpg

年に数回ぐらいしか寄りませんが

この、お気に入りの空間が

いつまでも、変わらず有ります様に^^




+祇園甲部(ぎおんこうぶ)+

祇園甲部(京都市東山区)は、京都で最大の花街
日本国内のみならず海外でも知られ世界各国からの国賓、要人が立ち寄る場にもなっている

寛永年間に八坂神社の門前で営業された水茶屋がこの花街の始まりで
京都所司代板倉重宗によって茶立ち女を置くことが許可され、門前の茶屋町を
「祇園町」と称するようになった

寛文年間になると四条河原町に芝居小屋が建ち、四条通りと大和通りにも茶屋が開かれるようになり
弁財天町・二十一軒町・中之町・山端町・宮川町で、「祇園外六町」と称した
享保17年(1732)、正式に茶屋渡世の営業許可が下りると元吉町・橋本町・林下町・末吉町
清本町・富永町の「祇園内六町」が開かれ、さらに繁栄した

この際に、団子をモチーフにした紋章が作られた
この紋章は現在も祇園甲部と祇園東の紋章として使われている
江戸末期にはお茶屋が500軒、芸妓、舞妓、娼妓合わせて1000人以上いたという

アクセス 京都市バス 「祇園」下車 徒歩3分
スポンサーサイト



プロフィール

高兄

Author:高兄
古きを訪ね、京都を知る

京都生まれ、育ち

高兄が綴る京都雑記帳

お気軽にコメントおくれやす♪

+相棒+

eos 5dmk3


+お願い+

ブログで使用している写真は

全て、私、高兄が撮影した写真です

無断使用は、ご遠慮ください

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ