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無鄰菴



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1903年4月21日、無鄰菴会議、行われる。















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京都の良いところの一つは

実際に、史実の残る場所が現存していて


その場所で、当時は、こーだった、あーだったと

自分なりに想像が出来ることだと思います


この、御庭を眺めながら

私なりの「無鄰菴会議」を妄想していました^^




+無鄰菴(むりんあん)+

京都市左京区南禅寺草川町31
無鄰菴は、山縣有朋の別邸で七代目小川治兵衛の作庭
「無鄰菴」と名付けられた山縣邸は三つある
最初の無鄰菴は山縣の郷里、長州・下関の草庵である、名前の由来はこの草菴に隣家がない事による

第二の無鄰菴は、京都の木屋町二条に購入した別邸、そして第三の無鄰菴が京都・南禅寺参道前に
造営した別邸で、「無鄰菴会議」の舞台ともなった場所である

アクセス 京都市バス 「京都会館美術館前」下車 徒歩8分


+無鄰庵会議+

この洋館2階の間は、しばしば要人との会見に用いられた
日露戦争開戦前の1903年(明治36年)4月21日にはここでいわゆる「無鄰菴会議」が行われた
その時の顔ぶれは、元老山縣有朋、政友会総裁伊藤博文、総理大臣桂太郎、外務大臣小村寿太郎である

当時、ロシアは強硬な南下政策をとっており、満州のみならず北朝鮮でも勢力の拡大をすすめていた
桂は、ロシアの満州における権利は認めても、朝鮮における日本の権利はロシアの認めさせる
これを貫くためには対露戦争も辞さないという態度で対露交渉にあたるため
この方針への同意を伊藤と山縣から取り付けようとしたのである

この時桂は、「満韓交換論」とも言うべき対露方針についてを伊藤と山縣から同意をとりつけた
以下はその時の「対露方針四個條」である

①露國にして、満州還付条約を履行せず、満州より撤兵せざるときは、我より進んで露國に抗議すること
②満州問題を機として、露國と其の交渉を開始し、朝鮮問題を解決すること
③朝鮮問題に対しては、露國をして我が優越権を認めしめ、一歩も露國に譲歩せざること
④満州問題に対しては、我に於て露國の優越権を認め、之を機として朝鮮問題を根本的に解決すること

この後、この「満韓交換論」に基づく対露直接交渉の方針は、山縣、伊藤、大山、松方、井上に
桂首相、下村外相、山本海相、寺内陸相が出席した6月23日の御前会議に提出され
上の方針に基づいて対露交渉に臨むことが確認された

国内には当時すでに「露国討つべし」の世論が高まりつつあったが、元老と政府首脳陣は
まだ外交交渉によって戦争という破局を避けようと模索していたのである
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